自分の中には、結構明確に、不快というか不愉快な気分になる声というものが存在します。
その感覚をうまく伝えるのは難しいのですが、簡単にいうと、ちらりとでも聞こえた瞬間、ほとんど条件反射的に「うぜ」と感じ、無意識のうちに眉の間に皺が寄ったり唇を歪めたりしてしまう「声」があります。
大抵そういう声はテレビから聞こえてくることが多いのですが、とくに不快というか不愉快な声が、ふたつ存在します。
その声は、名前は知りませんが、「バンキシャ」と「テレビタックル」のナレーションの声です。
このふたつの声は、喋っている話の内容は全く関係なく、「音」として生理的に受け付けません。
もっとも、このふたつの番組を自分の意志で観ることはないのですが、関係ない時間帯の番宣であったり、自分にチャンネルの選択権がない場所にいたりすると、不本意ながらも耳に届いてしまうことがあり、そういう時「ああウザい」とたちまち不快な気分になります。
たとえば、嫌いなタレントがいるとして、そのタレント自身が嫌いだから声も嫌い、というパターンなら普通にありえると思うのですが、このふたつの声の場合は誰なのか「人」は全く知らないので、「トーン」の問題かとも思うのですが、単純に「音」として自分はダメです。
自分はタレントだと爆笑問題とか勝俣とか大嫌いで、やはり声も鬱陶しくて聞こえてくるだけで「うざ」と思うのですが、この場合は「声が嫌いだから人も嫌い」ではなく、「人が嫌いだから声も嫌い」という「坊主憎けりゃ袈裟まで」のパターンで、「人は好きだけど声が不快だ」というパターンは、ちょっと思い浮かびません。
しかし、ここからが不思議なところなのですが、テレビとかラジオ以外、つまり実際の生活の中で触れ合う人の中にも、もちろん嫌な人はいますから、「人が嫌いだから声も嫌い」という論理だと、その嫌いな人の声も嫌いになるはずなのですが、あまりそういうことはなく、むしろ「声が嫌い」と感じる人は思い当たりません。
もっとも、現実に触れ合う人は、ほとんどの場合「顔」と「性質(性格)」と「声」が一致して認識されていますから、「声だけを嫌う」という状況自体、ちょっと生じにくいような気はします。
もちろん、「好きな声」というものもあります。
たとえば、ふと思い浮かぶのは、五木寛之さんの声です。
あと、福山雅治さんの声もかなり良いと思います。
女性の場合は、基本的に女好きなので、「嫌いな声」以外はみんな好きだったりします。
ちなみに嫌いな声は、いわゆる声優系というか、エロゲとかアニメとかオタク好みのような声で、聞こえてくるとイラっとしてしまいます。
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