たった一字の違いだけで全く意味の違う言葉というと、たとえば「清純」と「清純派」。
つまり、よくタレントとか女優とか女子アナとかモデルとかで「清純派」と呼ばれている連中がいるけれど、そもそも本当に「清純」だったらテレビだの映画だのそういう世界へ率先して進むわけがないのだから、「派」が付いた途端にそれは単なるイメージになって、本物の「清純」からは遠ざかる感じです。
大体、どこの世界にテレビや映画に出て目立ちたがる「清純」なオンナなんかいるんだか、と。
本当に清純な人だったら、ドカンとカネを積まれても、土下座で頼み込まれても、メディアへの露出は頑として固辞するに決まってます。
単純に「清純な人間がテレビや映画や雑誌なんかに出たがるわけがない」というか。
清純派女優なら掃いて捨てるほどいるだろうけれど、清純女優なんてこの世には存在しないと思います。
ただし、べつに「清純ではない清純派」が良いとか悪いとか、そういう話ではないです。
そのような役割というかキャラはあっても全然構いませんし、「清純派女優」等が存在しないと成立しない映画やドラマも多そうですから、ニーズもあります。
それでも、シャブで捕まったノリピーとかは、イメージとのギャップに戸惑ったクチかもしれません。
ただ、あの人の場合、もう自叙伝とか出したみたいですが、どう考えてもまだ早い。
せめて執行猶予期間中くらいは、黙ったまま動かずじっとすべてに耐えるべきで、それは別に世間様に対して反省を態度で示せとか、そういうアホくさい意味ではなく、どうせこの先、いずれは業界に戻るつもりなんだろうから、長い目で見たときの損得の問題です。
未来の「得」のために、今はまだ「損」を続ける時期なのではないか、と個人的には思います。
まあ、本人の意向はもちろんあるのでしょうが、世間から忘れ去られないうちに一儲けしておかなければ、と考えて全体の絵を描いている奴はいそうですが、完全に筋を読み違えている気がします。
そもそも今はタイミングがあまりにも悪いというか、例の歌舞伎の人のせいで、よほどの事が無い限り、芸能の話題は全部持っていかれてしまいます。
というかもう芸能関係の露骨で稚拙な戦略的話題作りは、ちょっと通用しにくい世の中になってしまっている気がします。
たとえば、なんとかヒロ先生の大ベストセラー小説とか失笑しか出ません。
もはや「笛吹けど民踊らず」という段階すら終わり、「笛吹かれて踊る民がいるとしたら、そいつは天然記念物レベルの貴重な馬鹿」という感じです。
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