本州に住んでいて、北海道や沖縄へ行くと、同じ日本であることに不思議な感じを覚えます。
別にバカにしているとかそういうことではなく、看板も日本語で、交通法規も同じで、イオンとかもあって、本州と全く変わらないことに違和感ではないものの、ここが外国と言われてもそのまま受け入れられるのに日本なんだよな、という変な気持になるのです。
なんというか単純に、北海道と沖縄へ行く時はパスポートがいる、と言われても、そんなに変には聞こえない感じなのです。
例えば新千歳空港に降りて、車を借りて走り出したりすると、いきなり何もかもが広々していて、本当に日本なのか? と感じます。
沖縄の離島なんて、行ったことはないですが、地図で見ても九州より台湾のほうが近いし、どうして日本語が通じるのだろう? と思ってしまいます。
もっとも沖縄の場合は、返還されなかったら本当に外国で、公用語は英語かもしれませんが。
しかし、言葉って不思議だな、と感じます。
本当に隣同士というか、ヘタしたら日本国内の端から端よりも地理的に近い朝鮮でさえもう言葉が全く違うのはなぜなのか、と思ってしまいます。
ヨーロッパなんか陸続きで隣り合っていてもドイツ語とかフランス語とかスペイン語とか言葉に壁があって、なぜ「地球語」というものが出来なかったのか、とつい考えてしまいます。
もちろん言語の専門家の人がこんなことを聞いたら「こいつはバカか?」と思うでしょうが、どうして地域によって全く違う言葉が使われているのか、というか、どうして全く違う言葉が生まれたのか、そのあたりに疑問を覚えます。
それぞれの場所でそれぞれの言語がそれぞれ発達していったことには、政府とか国家とかそういう線引きや囲い込みがあるからわかるのですが、最初の最初の段階ではどうなのか、と思ってしまうのです。
そして、そんな地域によってバラバラな言葉を使っている状況で、初めてその違う言葉を使う者同士が接触した時、通訳なんかはどうしたのだろう? という疑問が湧きます。
辞書も何もない状況で、どうやって意思の疎通を図っていったのか、その方法がわからないというか、想像ができません。
例えば、ザビエルが初めて日本へ来た頃の、西洋人と日本人って、どうやって会話を成立させていったのだろう? ということに変な興味があります。
「こんにちは」とか「さよなら」とか「暑い」とか「寒い」とか「美味しい」とか「眠い」とか単純なセンテンスだったら、身振り手振りを交えながらなんとかお互いに通じそうな気はしますが、ちょっと長めの文章で、西洋人が「わたしはキリスト教の宣教師で、船に乗ってここへやってきました、途中では酷い嵐にも遭いました」と言い、日本人が「あなたはいったい誰ですか? 何をしにどこから来たのですか? あなたの言っていることはさっぱりわかりません」と言ったりする時、どうやったら会話になるのだろう? と考えてしまいます。
そういうことを考えだすと、ジョン万次郎ってよく海外でやっていけたな、とも思います。
それにしても、アジアの隅っこの狭い範囲で陸続きの朝鮮と中国とロシアでさえ言葉がそれぞれ全く違うのに、北海道と沖縄が同じ日本語を使っているのって、何か不思議な感じがします。
なんだか、もしもアイヌ語とか琉球語とかが本土の日本語とは別に発達していっていても、あまり違和感はなさそうな気もします。
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