July 24, 2012

果たして勇気づけられたりするか?

なんとも酷いイジメのニュースが世間の話題をかっさらっていますが、それに合わせて、芸能人等が「自分もいじめられていた」とか、続々とアピールしています。
もちろんそういう人たちは、いじめられていた過去が事実かどうかは知りませんが、実際にイジメに遭っていたとしても、それをなんとか乗り越えて「今」があるから、そういうことを言えるわけで、果たして、現在進行形でイジメに遭っている子供達が、そういうことを聞いて勇気づけられ「自分も頑張ろう」と思えるのかどうかというと、個人的にはかなり疑問です。
というか寧ろ、「もういい!」と耳を塞いでしまうのではないか、と思います。

自分はイジメとは全く無縁でした。
イジメたこともないですし、イジメられた経験もありません。
陰口、悪口、仲違いの喧嘩……そういうものなら多かれ少なかれ誰でも経験していて、それらすら皆無なんて人はいないでしょうが、カツアゲされたとか陰湿な嫌がらせをされ続けたとかクラス中から無視されたとか、そのレベルの深刻な事態は経験がありません。
なのでイジメに関しては、どちらの側の当事者たちの気持も、わかるとはいえず、真摯にかけられる言葉はありません。
ただ、この先も無縁でいられるかどうかは決してわかりません。
学校以外にも、イジメの要素は社会のあちこちにふんだんに用意されていて、大人と子供では、イジメの質は変わるでしょうが、この国は基本構造的にイジメ社会なので、もう学校とは縁が切れたからといって、油断はできません。
いつ自分が被害者に、いつ自分が加害者になるか、わかりません。

しかし、子供の社会の中でのイジメに対しては、第三者的な傍観者としてなら、いくらでも真っ当らしいことが言えます。
いま苛められている子には、「学校がすべてじゃないのだから、しばらく行くな、うちで勉強だけしておけ」とか「転校しちゃえばいい」とか「学校なんてどうせ数年で終わる、息を殺して堪えろ」とか「潔く腹を括って真正面から立ち向かえ」とか、尤もらしい言い回しを駆使して無責任に言えます。
また加害者側には、「イジメなんて格好悪いしダサいから止めとけ」とか「自分がやられて嫌なことは人にもするんじゃない」とか、道徳の教科書的なことなら、いくらでも言えます。
しかし、所詮は他人事ですし、綺麗事です。
どれも本当のことだと思ってはいますが、正論というものは、他人が言っても当事者の心にはまず響きません。
当事者の心にダイレクトに響く言葉なんて、アカの他人にはありません。
やはり、身近な大人、親などがしっかりケアしなければ、どうにもなりません。
たとえば「立ち向かえ」と言うのは簡単ですが、イジメのグループの圧力が相当で、しかも先生まで頼りにはならない、などという八方塞がりの状況だったりしたら、立ち向かうなんて、おそらく無理です。
べつにイジメに限った話ではないですが、厄介な状況から脱け出そうと思うなら、「逃げる」のではなく、「遠ざかる」しかありません。
逃げたら、追いかけてきます。
鬱陶しい輩とはそういうものです。
ですから、戦って勝てるなら戦ってみてもいいかもしれないですが、どんな状況でも戦わずして勝つのがいちばん良いので、つまり「関わり合いにならない」、それがベストです。
むろん、傍が言うほど簡単なことではないですし、鬱陶しい連中や状況というのは、なかなか放っておいてはくれないものですが、そこは知恵を絞ってみるしかありません。
どのみち、中学生だろうが、大人だろうが、基本的に他人は頼りになりません。

今回は、ニュースで見たくらいなので実際のところはわかりませんが、印象としては、とにかく親以外の周りの大人が酷過ぎる、という感じです。
被害者の子がどういう子だったのかわからないので、安易なことは言えませんが、報道されていることを見聞きする限りでは、ありきたりな反応になってしまいますが、被害者の意見を聞く側の人間達がもう少しちゃんとした対応をしていれば、少なくとも自殺という最悪な結末だけは回避できたのではないか、とどうしても思ってしまいます。

そして勿論、わざわざ言うまでもなく、テレビのニュースショーやワイドショー、新聞の特集などで、キャスターや記者や識者と呼ばれる連中が深刻そうな顔をして侃々諤々やったところで、こういう問題が解決することはあり得ません。
尤もらしいことを言うくらいなら、床屋や居酒屋に集う常連のおっさんたちにでも出来ます。

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