震災以来、とにかく使われまくりのフレーズが「頑張ろう、○○」というパターンだと思います。
○○の部分には、「福島」とか「宮城」とか「東北」とか「日本」とか、大抵は地名が入ると思うのですが、そういうフレーズを目にしたり耳にしたりする度、単に捻くれているだけかもしれませんが、個人的には何か違和感を憶えます。
まあ、「みんなで手を取り合って頑張りましょうよ」という意味なのでしょうが、なんというか、どこか他人事のように響いて仕方ないからです。
べつにその言葉に悪意があるとか、偽善的だとか、そういうことを言いたいわけではありません。
そうではなくて、いったい誰から誰へと向けられている言葉なのか、そのへんが曖昧ですし、なんだかあまり関係ないというかそれほどシリアスな影響を受けてはいない人ほど大きな声でそういう言葉を発しているような印象を受けるのです。
そもそも、頑張るとしても、頑張るのは「場所」ではなく「人」でしょうし、単純に、その土地に何の縁もない、例えばテレビのニュースキャスターみたいな人たちが「頑張ろう○○」と言っていると、「みなさんはひとりではありません、わたしたちも全力で支えていきます」みたいな台詞なんかと同じ臭いの、強烈な違和感があります。
例えば、仮に福島の被災者の人たちが自発的に発するなら、「頑張ろう、福島」ではなく、「頑張るぜ、福島は!」とか「こんなことで福島は負けませんよ!」とか、そういう言葉になりそうな気がします。
尤も、そういう言葉なんて、キャッチコピー的にはイマイチだと思います。
コピーとしての響きは確かに「頑張ろう○○」のほうが良いと思います。
しかし、切実さというか本気さというか、そういう剥き出しの感情の吐露としての言葉なら、そんなことはあまり気にしないほうが生々しくて、人の心に響きやすい気がします。
ただ、こんなことをいうと「頑張ろう○○」を根底から否定することになってしまいそうですが、個人的には、そもそも他人から言われる「頑張ろう」という言葉が好きではありません。
勿論、「頑張る」ことを否定しているわけではありません。
そうではなくて、まず何より、人からそう言われることに生理的な不快感を抱きますし、自発的に使う場合でも、いちいち主張しなくても黙って頑張ればいいだけではないか、と思ってしまうからです。
大体、「頑張る」場合は、わざわざ人から言われたり、わざわざ自分で主張しなくても、勝手に頑張るし、嫌々ながらも頑張らざるを得ない場合だってあります。
人から言われると、つい「何を頑張るの?」とか「なんであんたに頑張ろうとか言われなくちゃならんの?」と反応してしまいがちです。
なので、どうせなら、「頑張ろう」と言われるよりは、「頑張りな」と軽く突き放されるようにして言われるほうが、まだマシです。
No comments:
Post a Comment